侵食ゲームパラだいす

ゲームに溺れるアラサーの暇つぶし

detroit become humanは自分の手でやるべき

面白すぎて驚異のスピードでエンディングを迎えてしまいました。

2038年 一家に一台高性能アンドロイド って時代
奴隷のように扱われるアンドロイドの中から意思を持ち始める個体が現れ始めて・・・


みたいなストーリーなんですけど、評判がやたら良い理由がわかりましたね。
実際にコントローラーを手に持ってプレイしないとわからない感覚だと思います。
これはYoutubeでプレイ動画見てるだけの人達には絶対にわからない。


というのも僕的にこのゲームが優れているなと思ったのは
圧倒的没入感
です。


今後の展開を大きく左右するような


『人質を逃がすか、殺すか』
『アンドロイドとして人間に和平を求めるか、暴力で権利を主張するか』


という決断を10秒くらいの短い時間で迫ってくるんですよね。これがいい。
集中力が最大限引き出されて、それが圧倒的没入感に繋がってくる。


「うわ、子供の頃こうやってのめり込んで映画とか見てたわー!」
というのを思い出しました。ハラハラドキドキしながら画面を見るなんて経験、大人になると減ってくるじゃないですか。今やホラー映画見てても、顔面エグイ色の幽霊見ながら
「この幽霊役の女の子可愛いな」
とか思う事ありますからね。貞子にガクガク震えてた頃が嘘のよう。
やっぱ集中力って大事ですね。


・・・
この素晴らしさが浸透すれば、映画やドラマの形も変わってくるんじゃないか、なんて思いましたね。Netflixで『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』っていう映画があるんですけど、これは視聴者が途中の展開を選べるっていう変わった映画なんですよ。
まぁ『映画』がベースになっているせいかdetroit become humanほど操作の頻度が多くなくて大した没入感は得られなかったんですけど、ただ視聴者に選択させるということに可能性を感じているクリエイターもいるんだなーと思ってワクワクしました。


昨今スマホではShort動画が流行ったり、音楽からは前奏が消えたりと娯楽が変化してきて、受け手側の集中力が無くなってきているんじゃないか?という問題提起の記事をよく目にするじゃないですか。
「今の若者は映画の2時間ですら集中力がもたない!」
なんて言ってるような。
僕は「Z世代はこれができない!」みたいな事言って閲覧数稼ぐ記事が苦手で、どの世代にだっておかしなやつはいるだろうとしか思ってないんですけど、ただ「スマホに慣れてから2時間の映画が見られなくなった」というのには実感があるんですよね。急にTwitterを開きたくなったりとかして。もしかしたらただの『老化現象』かもしれませんけど、集中力が昔に比べて落ちているのは事実。
僕はそれを何とかしたくて小説を読むようになったくらい、そこに危機感があります。
幼少期からYoutube漬けの子供が退屈な授業を我慢できるのかな?なんて心配もしてます。


だからこのゲームで圧倒的没入感を味わってみて、今後の娯楽はこうやって集中力を繋ぎとめるように進化するんじゃないかなーなんて思いましたね。
まぁ製作費とか膨れ上がるんで現実的じゃないかもしれないですけど。


・・・


ところでゲームの内容に戻ります。


僕は昨今のAIに関する
学習データ量を増やすとある地点から飛躍的に能力が伸びた
という記事を見てから、そもそも人間の自我なんて大したものじゃないような気がしてるんですけど、ただ現時点では証明のしようもないじゃないですか。
だからDetroitをプレイしてる最中、ずっと
「人間の自我は大したものじゃない 学習量がある点を超えたら勝手に生まれるようなもので、それがアンドロイドにも芽生えた だから彼らも人間と変わらない」っていう自分と
「自我の有無は証明不可能 ただアンドロイドは人間の感情を模倣してるだけであって、感情があるように見えても自我はないかもしれない」
っていう自分がせめぎ合ってて、ところどころ選択するのが苦しかったです。


2018年の発売当時にプレイしてたら、また違う選択肢に進んでいたんだろうなーと思うと面白かったですね。